保科洋の音楽

日本の作曲家で好きな一人。吹奏楽らしくない曲調でしっとりでもあっさり繊細という和モダン的な作風が好きです。
どうも吹奏楽の曲ってのは光陰を湛える弦楽器が無い事もあり色彩的だが奥行きが無く表面的な印象がありこれでもかと出しゃばりはやし立てるイメージがあります。
べつに演奏とか曲がどうという事でなく楽器編成の特性上そうならざるを得ない部分が確かにあり、管弦楽の方が優れているなんて言うつもりは毛頭無いです。
一方で空気を利用した管楽器だからこそ表現できる音の美みたいなものもたしかにあって、吹奏楽の為に書かれた曲なんてのは管弦楽とはまた別の魅力があっていいです。ただ管弦楽と違い聴き手より演奏参加者が多いので市場が歪に成立しており鑑賞に堪えうる玄人演奏のCD等のメディアが圧倒的に少ないという問題点はあるものの。
保科洋の作品なんかは内に秘めた叙情的で一般的な派手で元気でという吹奏楽イメージかとは違う大変味わいのある曲が多いです。
すごく品があるというか。管楽器の表現もつきつめると幅広いものになるなと感じます。
問題なのは、こういった優れた作品があるにもかかわらず日常的に表現手段として別物である吹奏楽でクラシック界のスタンダードだからと管弦楽の曲を無理矢理やろうとする点。それは管弦楽でこれがクラシック界のスタンダードだからと雅楽の曲を日常的に演奏しているようなもので。
本来管弦楽想定で作られた曲を無理矢理やったところであんまり演奏効果が高くない。それよりも吹奏楽用の曲をスタンダードとした方がよほどいい気がする。中には前衛的で意味不明なこれをスタンダードにされては困る作品もありますが。
そういう意味で吹奏楽のために創られた保科洋の叙情性のある曲は吹奏楽でしか表現できないんだろうと思う。きっと管弦楽でやったところで良さは半減すると思う。